生物多様性・農林漁業の保全と広域循環をつくる都市農村交流
1,都市農村交流とは“むらとまちの人・もの・情報が行き交う”こと
そんなことは昔は当たり前だった。資源は偏在している。気候・地形・風土によって産物の特色も違う。ないものはあるところからもらい、あるものはないところに渡す。交易が人の暮らしを成り立たせていた。交易=市のいいところはそれだけではない。平和と友好・相互扶助をもたらす。都市の成立は市場の自由を守るところから始まったという。
例えば、江戸時代から大正の初めまで大江戸(東京)と小江戸(川越)を結ぶ新河岸川舟運が栄えていた。
「“上り荷物”は日常必需品と衣料品、それに農村で使う肥料類が主流。“下り荷物”では米・麦をはじめとする農産物。それに木材や戸障子などの建築用材が圧倒的だった。また江戸から葛西船といって糞尿(金肥)を積んだ船が上がってきた。」(斎藤貞夫『川越舟運』さきたま出版会) 化粧品や服などの文化的なものは都市から、食料・木材は農山村から運ばれた。川越芋は三芳町の三富新田などでつくられ大八車に載せられて河岸街道を河岸場へと運ばれ、そこから新河岸川を船で下って隅田川に入り浅草の芋問屋へと運ばれた。むらとまちの広域循環を川と水運が支えていたのである。(図の写真も同上書より)
2,都市農村交流はなぜ必要かー広域循環の回復・関係人口の形成
グローバル経済化の進展はこのような地域内循環、広域循環を壊し、国境なき水平分業=自由貿易に置き換えた。舟運は鉄道に換わり、いまやトラック輸送全盛となった。全世界が市場経済化されどこでも何でもお金で買う時代になってしまった。するとどういうことがおきるか。気候危機がもたらす災害常襲時代にあって、大きな災害が起きるたびに都市のスーパーやコンビニは空っぽになってしまう。都市の人たちは食料は買うものと思い込んでいるからである。
こんなことは持続可能ではない。都市の人たちも食料にかかわるべきである。「市民皆農」だ。すべて農民になれというわけではなく、農的暮らしを生活に取り込むという意味である。ベランダ菜園、市民農園、週末農業、移住といくらでもかかわる場所はある。また食料を生産している人たちを支えるべきである。顔の見える人から買って応援すべきである。そうすれば災害時に疎開先として受け入れてくれる関係もつくれるというものだ。
グローバル経済化は同時に、若者の都市への流出と農村部の人口減少を生み出した。埼玉県比企郡の9つの市町村のうち人口が増えているのは東松山市と滑川町だけで、あとは軒並み減少している。ときがわ町などは過疎指定されてしまった。この主要原因は地域に仕事がないことである。農林業は斜陽化し、和紙などの地場産業も象徴的な意味しか持たされず関連産業は育っていない。観光もみんな車で来て食事して温泉に入って日帰りで帰ってしまうので実入りがよくない。
では地域資源をしごとにすることはできないのか。そんなことはない。来てくれる、買ってくれる客をつくればいいのだ。これこそ真の意味でのマーケティングである。その地域に住まずともかかわってくれる人のことを関係人口という。都市農村交流を活発にし関係人口を増やせばいいのだ。
具体的には、前述の農的暮らし、キャンプ・川遊び・ハイキングなどアウトドア・ツーリズム、様々な団体・サークルなどの会合・行事・合宿などの需要はコロナ禍を経てこれからますます増える。
3,人が適切に手を入れ利用することによって守られる日本の自然
2014年の新書大賞をとった『里山資本主義』(角川新書)は40万部を超えるベストセラーとなり、その続編の『里海資本論』も注目された。それによれば「里海」とは「人間の暮らしの営みの中で多年の間、多様に利用されていながら、逆にそのことによって自然の循環・再生が保たれ、しかも生物多様性が増しているような海」のことである。また「里山」とは「人間の暮らしの営みの中で多年の間、多様に利用されていながら、逆にそのことによって自然の循環・再生が保たれ、しかも生物多様性が増しているような樹林地・農用地」のことである。「里山」はあちこちにある持続可能な社会への「入り口」であり、「里海」は一つしかない「ゴール」と位置付けられる。
実際、2で見た関東地方の広域循環を支えていたのは川と運河による水路網であったが、各地から運ばれてきた食料などの物資は東京湾に面した佃島の倉庫群に集積された。それが江戸100万の人口を養ったのである。藻谷浩介さんは『里海資本論』の解説の中で「内湾があったから三大都市圏はできたし、そここそ里海復活の主舞台」と述べている(首都圏の利根川と東京湾、中京圏の木曽川・長良川と伊勢湾、関西圏の琵琶湖と大阪湾)。
こうしてみると人間の営み(経済・社会)と自然は画然と二つに分けることができないことがわかる。人間は自然資本が生み出す生態系サービスを食料やエネルギー、道具や製品に変換して生活と社会を営んできた。自然資本が再生産できるように定常状態に保つ営み(手入れ)がなければこれは成立しない。
その営みは以下の3つに整理できる。
これらをどう組み合わせて展開していくかが本題の「都市農村交流」の内容となる。
4,人・もの・情報が行き交うためのしくみを
都市農村交流とは<人・もの・情報が行き交う>ことである。そのためのしくみが必要だ。もののやり取りを通して情報をいきわたらせ、情報をもとに人が通うようなしくみをつくらねばならないし、それはすでに始まっている。
(1)小さなアンテナショップネットワーク(食料と情報を提供しかかわる人を増やす)
まちなかのカフェ・食堂・ショップや地域サロンなどで定期的に近郊の野菜などを販売し、買ってくれた方には農業体験や自然体験、里山・森林ボランティア、ツアーや合宿できるところなどの情報を提供し、生産地の農山村に通うきっかけをつくる。すでに<埼玉西部⇔東京城北><山梨⇔三多摩>の2エリアで小さなアンテナショップネットワークづくりは始まっている。
(2)村まるごとホテル(関係人口を増やす入り口となる滞在施設)
地域にあるものを活かして「暮らすように滞在する」水平・分散型の宿泊施設。地域全体を持続可能な暮らし・文化・歴史などのラーニングキャンパスとして学び滞在する。関係人口の拡大につながる。
(3)シェアダーチャ(週末などに通う畑付きのシェアハウス)
都市の人に農的暮らしや文化・コミュニティづくりへの参加を促し、近郊に住んだり通ったりする人を増やすための畑付きシェアハウスを整備し広めていく。
(4)分散型小規模低学費大学(若者が地域で起業したり地域の人が学びあいをする地域大学)
若者の都会への流出を止め地域で起業・就業するため及び地域の方がたの学びあいの教育機関を地域の力(人材、施設等)を活用してつくる。地域課題を探究し解決策を提案するプロジェクト学習が主体。
このようなしくみ・環境が整備されれば、都市の一般市民のみならず生きづらさを抱えている人たち
の居場所や活躍場所をつくっていくことも可能となり、SDGsが掲げている誰一人取り残さない「強靭で包摂的(インクルーシブ)な住み続けられるまちづくり」が実現されていく。
みんなが安心できる重層的コミュニティづくり
1,「誰一人取り残さない」ために何をしたらいいか
「誰一人取り残さない」-SDGsが課題にのぼってからよく聞くフレーズである。うたい文句のようにくりかえされるが、そのために何をしたらいいかは一向に明らかにならない。もやもやした気持ちでいたら、それを考えさせてくれる文に出会った。岩波の雑誌『世界』1月号に載った村上靖彦さんの「ケアから社会を組み立てる」という論考である。
その中で村上さんは<地域福祉についての大きな制度の改善点>を3つ挙げているが、その一つに「誰も取り残されない社会・誰もが生活に不安を持たずにすむ社会を目指す」があった。その内容は、
「弱者だけでなく全員が安心できるプラットフォーム」をつくるということである。具体的には、「国籍や戸籍、滞在許可証、社会属性にかかわらず、すべての人の基本的人権・生活・環境を保障する」ために「ユニバーサルな教育、福祉、医療のサービス」を提供しあうことであり、そのことによって「全員が安心できる思想が土台になることで小さな社会も活きる」ようになるとのことだった。
なるほど! と思った。そしてよく考えてみたら、板橋の市民たち(SDGsいたばしネットワーク)が子どもや高齢者の居場所づくりをしたり、介護保険では保障されないサービスを提供するサポーターを養成・派遣したりしているのは、ここをめざしているんだなと気づいた。その実践に基づいた板橋区に対する機関・制度の活用、協働のアドボカシー(政策提案)もすでに行われている。
このペーパーは以上のことを資料的にまとめたものである。「誰一人取り残さない」ために何をしたらいいかを考えている人々の参考に供したい。
2,「包括支援」に関する区民アンケートが提起する課題
板橋区内131団体で組織している「SDGsいたばしネットワーク」の「保健・福祉・医療プロジェクトチーム」は、新たな国の制度である「包括支援」を推進するための課題を明らかにするために区民アンケートを実施した。「保健・福祉・医療」に関する61団体中36団体から回答を得た結果から「包括支援」の課題をまとめた。(以下概要、例示)(板橋福祉のまちをつくろう会/NPO法人SDGsいたばしネットワーク発行『誰一人取り残さない・されないいたばし地域福祉ガイドブック』より)
A 分野を超えた共通課題
- 多問題を抱えた家族に対する包括支援 ②幅広い年齢層の引きこもりに対する包括支援 など
B 障がい者分野の課題
- 介護者が病気になった時の対策(見守り・ヘルパー派遣・緊急一時保護…基幹相談支援センターの機能。あるいは、住民による日常的な見守りと支援こそが地域共生社会の必要条件)
- 自立生活者が高齢になった時の不安解消(同上) など
C 高齢者分野の課題
D 児童分野の課題
- 子どもの貧困にかかわる支援者が伴走しやすくなる施策の充実(場づくり、経済的支援、連絡会)
- DV被害の母子にかかわる支援者が伴走しやすくなる施策の充実 など
E 生活困窮者分野の課題
- 住まいの場の提供 ② 就労の場の提供 ③ ケースの発見から就労に至るまでの伴走的支援など
F 災害対策分野の課題
- 災害時要援助者と地域住民の交流 ② 避難場所のバリアフリー ③ 福祉避難所の医療課題など
3,板橋区への政策提案「地域センターを核にした地域コミュニティづくりに関わる陳情」
上に見たような課題認識から板橋の市民は、市民同士のまた大人と子どもの学びあいと参加を基礎にした地域コミュニティづくりを進めるための推進機関として18ある地域センターを位置づける政策提案を2月初めに板橋区および区議会に対して陳情という形で行った。
<陳情項目>
1,地域センターの役割を地域コミュニティづくりの推進施設(機関)と位置づけ、現在推進されてい
る小中学校でのSDGsの学びをはじめ、子ども・家庭から高齢者など支援関係機関、地域住民、NPOなど関係者が地域課題を学びあい、交流できる事業を推進する機関にしていくこと。
2,多様な生活課題を抱えた地域住民が立ち寄れる場「伴走型相談窓口(仮称)」を早急に設置すること。、
3,地域センターの役割転換を区政の重要課題と位置づけ、地域コミュニティの再生を図るための組織改正と職員定数並びに土日実働開所の体制づくりを進めるとともに、そのための「地域づくりコミュニティネットワーク会議(仮称)」の常設を図ること。
4,拡大多様化する地域生活課題に対応する「重層的支援体制整備事業」の創設
上記アンケート結果に見られるように複雑化、総合化したニーズを持つ地域住民は勝ます増えている。
アンケート結果に挙げた課題以外にも、孤独死、引きこもり、ごみ屋敷、子どもの貧困、8050問題、ヤ
ングケアラー、コロナ禍自殺などなど。生きづらさを抱えた本人や家族の課題は「制度」の枠組みだけ
では解決せず、本人・家族の生きる意欲、生きる希望といった「強み」を引き出す援助が求められ、そのための「参加支援」や「地域づくり」を行っていくことが求められている。
しかも、一つの世帯に複数の課題をはらんだ「多問題家族」のケースでは、従来の「子ども」、「障害」
「高齢」、「生活困窮」といった分野別の支援体制では対応が困難になっており、属性や分野を超えた取り組みが求められている。
求められている「重層的支援体制と多様な参加・連携・協働」をイメージした図が以下である。
5,一人ひとりの声を聴きとるために―重層的なアウトリーチと複数の居場所を
村上さんの前記論考がこのペーパーをつくるきっかけを与えてくれた。一人ひとりの顔と声から社会を作り直していく試みについて村上さんが大阪市西成区に通う中で学んだ視点を紹介して、具体的に何をしたらいいかの指針としたい。
その視点とは<重層的なアウトリーチでケアしケアされること、複数の居場所が利用可能であること、
このような場が熟成した時に一人ひとりの声が聴きとられる>というものである。
村上さんはそのためには以下の4つが必要としている。
1)SOSのケイパビリティ(サインを出す当事者の力と権利と、それをキャッチし聴きとる支援者の力)
・小さな社会づくりは弱い立場に置かれた声を聴くところから始まる。
→地域社会でSOSをキャッチし、声を聴きとっていくためには<アウトリーチ>と<居場所>とい
う二つの基本的な活動が必要になる
2)すきまに追いやられて見えなくされている人を探すアウトリーチ
・(西成区:多層にわたるアウトリーチの網の目が作動している)
・自ら声を出せない、見えないところに追いやられている人と顔の見える関係として出会っていく
・例)○わかくさ保育園が路上の子どもを探すあおぞら保育
○労働支援団体が路上生活者の人たちに歩いて根気よく声かけをしていく活動
3)生活を可能にするアウトリーチ
・重層的にアウトリーチのネットワークを整える
(助産師による家庭訪問、乳児保育を利用した保育園での生活支援、そこから困難を抱えた家庭への送迎支援や学校教員やソーシャルワーカーの訪問など)
保育園送迎×不登校児声かけ×同行支援×生活サポート→自宅での家族の生活が成り立つ
4)複数の居場所(ハウジング+α)
・人は自分の存在が無条件に肯定される場を必要とする
・複数の居場所が地域にあればどこか自分が落ち着ける場所と出会うことができるだろう
6,SDGsのまちづくりの3つの柱
この「みんなが安心できる重層的なコミュニティづくり」を考えたことによって、SDGsの17目標すべてに対応できるまちづくりの柱を考える必要があると気がついた。そこで、私なりに考えた他の柱も入れて<SDGsのまちづくりの3つの柱>を整理してみたい。
A,みんなが安心できる重層的コミュニティづくり
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B,FEC(Food,Energy,Care)とくらしのユニバーサルサービスを供給する産業転換
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C,生物多様性・農林漁業の保全と広域循環をつくる都市農村交流
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リレーションシップが持続可能な地域をつくるーキム・キソブ『生命の社会的経済』紹介
社会的経済については何冊か入門書を読んだが、その意味が今一つよくつかめなかった。が本書を読んでよくわかった。どうわかったのかを書いて紹介としたい。
交易のありようが社会のありようを決める
最近読んだ本の中で最もインパクトのあった本である。これまでの常識を覆された。金さんは、交易が一つの共同体が「異邦人」:他の共同体と平和な関係を結び、共同体内部のつながりを強めるために行われてきたことに注目する。また、そこからこれからの社会的経済の役割を導き出す。
つまり、交易の対象を商品から生命に変えること、交易の目的を富の蓄蔵から福の消尽に変えること、そのことによって生命と社会を豊かにすることである。
この観点に立てば、資本は否定すべきものではなくすべての生命が豊かに生きられるように使い尽くすものとなる。なぜならば資本とは生命の蓄積に他ならないからだ。生態系という世界のとらえかたがあるが、それによれば生命は相互に依存しあっている。循環性、多様性、有限性、関係性という生態系の法則をこわさずにその則のもとに暮らしていけばそれはずっと続いていく。サステイナブルとはそのことを言っている。
しかし資本主義はそうではない。資本とは貨幣であり、使い尽くすものではなく蓄積するものである。なぜなら貨幣を蓄積することで利子や信用を生み、それがまた貨幣を増殖させるからである。つまり資本を蓄積すれば富が増える。金持ちはますます富み、貧乏人はますます増える。1%が99%を支配する。
金さんは、プロローグで「執筆の動機」は二つだと言っている。「一つは社会的経済を「人間の経済」から「生命の経済」にとらえ直し、もう一つは国家と市場の「ハザマ」から抜け出て、社会の「カナタ」を想像するためです。そして、この二つをとおして、社会的経済があらゆる生命の主体的で持続可能な幸福のためにそびえたつことを念願するためです。」(p9)
どうやら金さんは、現状の社会的経済のあり方に満足していないようである。
交易は人間らしさ
実はこの紹介文の最初の見出しを「交易のありようが・・・」としたのは、交易に思い入れがあるからだ。交易は最も人間らしい行為ではないかと思っている。
アイヌは交易人であった。「狩猟採集経済」を柱にして見ると見方を誤る。逆である。交易に生きたために、それに適した狩猟採集の対象や方法が選択されたのだ。今話題になっているアイヌのサケ漁は、自家消費の量をはるかに超えてほとんどが北方世界や和人との交易のために行われていた。(See⇒瀬川拓郎『アイヌの歴史ー海と宝のノマド』)アイヌは交易によって得た異邦人の宝を何よりも大切な財産としていた。そして積極的に異なる文化を生活の中に取り入れた。
金さんは、本書の第2章「交易の歴史」の中で交易には三つの位相があると言っている。
①「物と物の交換」する位相:経済
②「人と人の交流」する位相:社会
③「自然と人間の代謝」する位相:自然
この三つの相互関係のあり方が問題なのである。
現状では①が②③を牛耳っているために社会はゆがみ、自然はこわされて行って人間の生存の基盤すら危うくなっている(気候危機、資源枯渇、環境汚染)。
本書の主張は、この関係をもとあったように逆転させようという主張であり、社会的経済はそのための実践だということだ。
つまり、貨幣という資本ではなく生命としての資本をつくりだし、それを生産的に使い尽くす(消費する)ことによって自然③と社会②が豊かになるような経済①がすなわち社会的経済でありそれを実践しようと言っているのだ。
異なる資本の消尽・溶融が生命資本の増殖を生む
わたし自身は協同組合や社会的経済の世界をあまり知らずに60過ぎまで来てしまったが、金さんは日本に生協を学び韓国のドゥレ生協や原州(ウォンジュ)の地域協同組合をつくりあげてきた社会的経済の実践家である。その経験から彼はこれからの社会的経済は統合的ネットワークの道を進めと提案している。
統合的ネットワークとは、「生活が困難に陥ったり、陥る危機にさらされたりする人に向かって、様々な社会的経済組織が力を出し合って迅速かつ適切に対応し、場合によっては新しい対応策を模索すること」(p225)である。
例えばホームレスの支援を考えてみよう。まず生活保護を申請し住居や食・医療を確保して働ける状態をつくらなければならない。その上で今度はその人に合った仕事を世話していくなど多岐にわたってやるべきことがある。ホームレスの人に食事を提供する際に、その他の必要事項についてもその場で同時に相談・紹介ができれば、生活を立て直していくプロセスはうんと速く進むだろう。
そういうやり方をワンストップサービスと言うが、それが成り立つためには、地域内の行政はじめ様々な機関・組織のネットワークが必要になり、またそれらの協力・協同をもって新しい支援策の模索や制度改善が進められてゆく。
こうした統合的ネットワークが成り立つためには、それぞれの社会的経済組織が自ら蓄積してきた資本を持ち寄り、提供しあい、その結果新たな支援策・制度(=新たな生命資本)が生まれるというプロセスの発展が想定される。これこそが金さんの言う社会的経済の新たな展開なのである。
新しい社会の主役:社会から排除される人びと
もう一つ金さんの指摘が鋭さを見せるのは、これからの社会のありようと推進的な担い手の変化に社会的経済は対応すべしとの主張である。
金さんによれば、人類史上初めて家族から個々人に社会形成の単位が変化しており、その一人ひとりがあらゆる拘束から解放される状況が生まれている。しかし問題はその「一人寂しい流浪」を守ってくれる社会的安全網がないことである。社会的安全網とは
「どんな状況でも、一人ひとりの人間が、彼の属する社会の中で安心して暮らせるようにする関係の網」のことである。それをつくりだすことができるなら個人が自立しつつも支え合い連帯しあう社会が生まれる。
そしてそうした新しい社会の主役となり社会の方向を決定していくのは、これまで社会から排除されてきた人びとである。彼ら彼女らは「かわいそうな援助を必要とする人たち」「教化し社会復帰させる対象」ではない。自分たちを排除する社会を変え、まったく異なる共生と連帯の社会をつくりだす人びとである。
こうした人びとを社会の主役とみなして惜しみなく支援すること、最も低いものを最も高めたために、人びとの間で差別と格差がなくなり、内なる相互扶助と外なる歓待、つまり定常開放系としての社会を維持できる。これを称して社会的包摂というのだ。
このくだりを読んでわたしは今注目されているソーシャルファームの本当の意義と役割を理解した。
社会的経済が地域をつくるために必要なもの
金さんは何よりも個々人の自由(個々人の生と主体性の発露)を大切にする。それが発揮されるためには個々人の「一人寂しい流浪」を守ってくれる連帯の仕組みが必要であることはすでに述べた。この一見矛盾するような要求を結合させるためには何が必要なのだろうか。
これまでの社会的経済がつくってきた協同組合という結社体(財・サービスの生産・販売を担う)と協同組合の生産・販売を担う事業体(構成員同士の協力と自助を担う)に加えて共同体が必要だと金さんはいう。
この主張こそわたしが金さんの社会的経済論に最も共感する点である。これまで最も親近感を覚えた広井良典の『コミュニティを問い直す』をはじめ数々のコミュニティ論を読んできたがイマイチ納得感がなかった。なぜならコミュニティはこうあるべきということは書かれていても、それをどうつくるかは書かれていなかったからである。
金さんは、社会的経済が地域社会に広がっていくためには様々な人々の多様なニーズに応え、それらをつないで新しいサービスやしくみをつくっていくことが肝要だという。そのためには人びとの活動を活発にし、それを受け入れる「すき間」と「弱い紐帯」が必要だという。
金さんの言葉で言えば「自分の願いと他人のつなぎをその中に入れることができる「構造的なすき間」と新しい主体と多衆のニーズを受け入れつなげる「弱い紐帯」が必要」だということになる。
パートナーシップからリレーションシップへ 水平的なつなぎから垂直的なつなぎへ
このように金さんは社会的経済の進化を主張しているのだが、そこにおける進化の過程をわかりやすくするために表にしてみた。
この「メンバーシップ/パートナーシップからリレーションシップへの転換(垂直的なつなぎ)」という主張に金さんの社会的経済論の方法論が凝縮して示されていると思うし、ぜひともそれを実践してみたい。
というのもわたしはECOMというNPOをつくって30年弱、地域コーディネーターという役割を担ってきたからだ。持続可能な地域づくりをコーディネートするというミッションである。その際に課題として感じてきたことは、行政に都合のいい「協働」「コーディネート」をどう超えていくかだった。すでに行政や企業が設定したゴールがあり、そのために同じテーブルに着くことが「協働」というカベを突き崩して、市民の発意とエネルギーを存分に発揮することで地域の関係や連携のあり方が変わっていくという状態をめざして活動してきた。
わたしの経験的実践は金さんの理論の言葉で見事に整理されている。しかも東洋的な概念を魂として。
地域協同組合の社会実験へ
さてこれまで金さんの考えをいかにわかりやすく伝えるかを主にしたためにかなりの字数を費やしてしまったが、この考えをいかに実践するかの方向を指し示してまとめとしたい。
2014年の秋に、金さんの案内でウォンジュの地域協同組合を見学した時、わたしは直感的に「これからの地域づくりはこれだ!」と感じ取った。信用組合や医療協同組合、そして無料食堂が一体となった本部の建物をベースに、27の様々な業種の協同組合が連合して地域協同組合をつくっている。若い人たちが主体となったベンチャー企業も入っている。
わたしはいま、これまでの実践の中で大きなネックとなっている「可能性はある。でもだれがそれをやるの?」という課題に応えるために「(埼玉県西部地域)地域資源をしごとにする担い手育成3か年計画」を進めている。どこの地域に行っても、豊かな資源や地域づくりの可能性が見える。しかし、だれがそれをしごとにしていくのか、どう形にしていくのか、そこでいつもつまずいて先に進まなくなってしまうという大きなカベを突破していきたい。具体的にどうするかは、また稿を改めて詳しく述べることにする。
対面と遠隔併用でアクティブラーニング! 大東文化大学「NPOとNGOの社会学」授業レポート①
大東文化大学で「NPOとNGOの社会学」という授業を行っている。講義はほとんどなし、自分たちで追求したい(学生にとって切実な)課題を、他の学生たちに働きかけながら模擬NPO活動を展開し、活動で得られたものの考察をプレゼン、レポートしてもらうアクティブラーニングの授業である。
去年まで環境創造学科の授業として前期に行っていた。今年は社会学部の授業になったものの、コロナ禍で授業の開始が遅れ、かつほとんどが遠隔授業になってしまった。わたしはどうしても参加型の授業をやりたいので後期に延ばしていただき、学科事務の協力を得て10/7から1/27までの15回の授業を対面、オンライン併用で行っている。
毎回、大学HP上の掲示板に前回の授業報告と次回の予定を掲載している。簡単なレポートはFacebookの公開投稿でも行っているが、どうやってやっているのか知りたい、この時期学生たちの学習権を実現していくのが困難になっているのをどう超えていくか工夫を共有してほしいという声もあり授業レポートを何回かに分けて掲載したい。
授業記録1(20.10.7) 大東文化大学「NPOとNGOの社会学」授業記録①
<10/7の授業の概要>
- オリエンテーション(授業のねらいと計画)
- NPOのイメージ→NPOと企業、行政の違いから浮かび上がるNPOの特性、役割
- 受講者にとって切実な「解決したいこと、やりたいこと」を出し合う(→次回グループ分け)
<各詳細>
NPOやボランティアについて本を読んでも意味がない。やらなくてはわからない→この授業では学生にとって切実な課題を出し合い似ている/近い課題で集まりグループをつくってそのグループで取り上げた課題を深めたり広げたりする活動をやってもらい、そこから得られたことをプレゼンしてもらう。
次回からグループ活動に入る。まずグループで課題を深めたり広げたりする方法(調査、アンケート、勉強会、セミナー、ワークショップ等)を検討し、グループ活動の計画をつくる。(授業10回分、授業外の時間を使ってもかまわない)。1/20の授業(第13回)あたりで活動の分析・まとめを行い、1/27の一限(第14回)でグループ活動のプレゼン、二限(第15回)で各個人のふりかえりとまとめのレポートを発表し皆で検討しあう。(レポートテーマ「この授業で学んだこと、それをどう活かしたいか」)
各人にA4の紙にNPOのイメージを書いて発表してもらい、そのキーワードを使って講師がまとめた。(以下、K:キーワード)
K「非営利」→NPO(Non Profit Organaization)は非営利団体という意味だね。でもそれってどういう意味? それを明確にするには企業とNPOの違いを考えればいい。NPOのやることはタダでお金をもらわない? 違うね。企業も行政もNPOも皆K「事業を行う」という点では一緒だ。問題はその事業の財源と使い道だ。企業は「株式会社」を考えればいい。「株」って何? 配当だ。つまり企業は収益を分配する。NPOはどうする? そう! 活動のために再投資する。
K「行政が解決できないことを解決する」→そうだね。それはよって立つもの、動く基準になるものが違うからだ。行政は法律、条例、政策がないと動けない。目の前に困っている人がいてもすぐには動けない。それに対してボランティアはどうか? すぐ動く人がボランティアだね。ボランティアは自発的に動く一人一人の人を指している。NPOはOが付いているように団体のことを言う。社会貢献事業をやるボランティア団体がNPOだ。
- 受講者8人が挙げた課題
写真①の通り。
10/7の授業では、早川君「コロナ禍への大学の対応に対して学生目線で考え動く」と藤井君「コロナで就職が不安」が一緒に、武石君「コロナで運動不足」、佐藤君「家にいることが多いが自炊ができない」、大槌君「コロナによる学生生活の変化」が一緒にやることになっている。次回よく話し合ってグループをつくりたい。
授業記録2(20.10.14) 大東文化大学「NPOとNGOの社会学」授業記録②
<10/14の授業の概要>
- 課題出し→グループ分け
- グループ活動
<各詳細>
- 課題出し→グループ分け
今回初めて出席した2名(望月、清水)が課題を出し
写真②のように1,2回目合わせて11の課題が上がって
きた。よく話し合って次の3つのグループをつくるこ
とにした。
- [大学]コロナ禍に対する大学の対応を学生目線で考え行動する(早川、望月、清水)
- [生活]コロナ禍による学生生活の変化(大槌、大里、武石、佐藤)
- [就職](コロナ禍の影響による)就職への不安(藤井、畑川)
- グループ活動
後半はさっそくグループに分かれ、グループ活動の計画を話し合った。授業の最後に各グループの
話し合いの経過を報告してもらった。
1)[大学]:大学のほうでも学生に対するアンケートを行っているのでそちらも参考にしながら、自分たちでもアンケートを集め、それを分析して対策を考えていく。
2)[生活]:学生たちからLINEのアンケートなどを使ってコロナ禍の影響による生活上の問題を聞き出して分析する。
3)[就職]:企業等の採用や面談の現状を調査する。
<それに対する講師からのコメント>
初めの段階は、調査とその結果の分析から始まるが、NPOは社会課題の解決をしていく団体なので調査して終わりではない。そのあと調査結果をもとに集まりをひらき、勉強会やワークショップ(話し合いなど)を組織していく必要がある。その辺をふくめて計画を考えてください。
<10/21授業予定>
グループ活動(「NPO設立計画書」の作成)
授業記録3(20.10.21) 大東文化大学「NPOとNGOの社会学」授業記録③
<10/21の授業の概要>
グループ活動(「NPO設立計画書」の作成)
<詳細>
4つのグループに分かれ「NPO設立計画書」を検討・作成した。
1) [大学]コロナ禍に対する大学の対応を学生目線で考え行動する(早川、望月、清水)
2) [生活]コロナ禍による学生生活の変化(大槌、大里、武石、佐藤)(大里、武石、佐藤は欠席)
3) [就職](コロナ禍の影響による)就職への不安(藤井、畑川)
4)[福祉の組織]社会福祉法人、福祉の企業法人、NPO法人の違い(小杉)
<グループ活動の進捗状況>
各グループの計画案
1)[大学]
・大学がとった学生アンケートを調べる
・独自にアンケ-トを集める
・両方を分析する
・対策を話し合う会を開く
2)[生活]
・コロナ禍により学生の生活がどのように変化しているか調査→(なぜ)を考えて、自分以外の学生はどう変化したか→解決策を模索する
3)[就職]
・コロナ禍での大学生の就職活動の現状を探り解決法を模索する
・学生間の課題や認識の共有をし、就活を支援する職員の意見や企業からの目線と合わせることで、それらに対して誠実で実りある回答を行う
・掲示板やポスターなどの掲示物でアピール(相談窓口の設置も)
4)[福祉の組織]
・川越市役所、同社会福祉協議会などに電話し当該組織にヒアリングに行く
<講師からのアドバイス>
・調査の授業ではない。社会や地域の問題を解決するNPO活動の模擬体験の授業である。調査→分析→公表→公表に対するフィードバック→解決策の検討→解決策や提案の提示→実現のための行動 という流れで考えてほしい。行動までいかなくてもいいが、他の学生たちに解決策の検討や提示をするための場や機会をつくってほしい。必ず他の学生たちに働きかけをすること、その反応を報告することをプレゼンに含めてほしい。
アイヌの先住権を実現する
ウポポイ(国立アイヌ民族博)ができたと聞き、すぐに見に行きたいと思った。しかし、これができた経緯を知るにつけ、単なる博物館見学では済まないなと感じ、少し調べてみた。
手がかりにしたキィワードは「先住権」。というのは、アイヌ文化だけが切り離されて独り歩きさせられているような気がしたからだ。アイヌは日本政府によって支配されるようになってから一度も正当な扱いを受けたことはなく、ずっと見世物にされてきた。「先住民」の名のもとにそれが繰り返されようとしているのではないか。先住民ならば先住民としての扱いを受けなければならない、そう思ったからだ。
したところ、図書館に行ったら格好の本を見つけた。ずばり『アイヌの権利とは何か-新法・象徴空間・東京五輪と先住民族』(かもがわ出版)という本である。
その本のエッセンスを紹介したい。その前に、こういう問題意識を持ったきっかけに簡単に触れておきたい。
漁師の畠山敏さん(北海道アイヌ協会紋別支部長)は、2011年3月に紋別市のモベツ川支流域での産廃処分場建設をめぐり、遡上するサケの生息環境を破壊するおそれがあるとして、道公害審査会に対し工事の中止を求める公害紛争調停を申請した。畠山さんはイルカ漁を通してアイヌの伝統クジラ漁の復活にも関心を持ち、サケ漁やクジラ漁をアイヌの仕事(雇用)として復活させたいとの希望を抱いて様々な活動を行ってきた。わたしは10年ほど前に畠山さんの活動を知り、共感を抱いてきた。
先住権とコタン
(以下は前掲書のエッセンスの要約)
先住権とは、18世紀以降に世界の列強国によって支配されてきた先住民族において、先住民族の中の個々の集団が、列強国家による支配以前から歴史的、慣行的に有していた土地や自然資源などに対する排他的・独占的な使用権・利用権・管理権などの総称である。
つまり、先住民族とされる中のさらに小さな個々の集団の権利である。この集団の権利であるというところが重要だ。
例えば、サケの捕獲権、樹木の伐採権、様々な土地の利用権など「いろいろな権利を束ねた」ものが先住権である。
「先住民族の権利に関する国連宣言」は、先住民族の権利について「集団としての権利」と「個人としての権利」を挙げている。集団としての権利として、遺骨返還の権利、自然資源(土地や水産物、陸産物などの資源)を利用する権利、自決権がある。集団としての権利の一つが先住権なのだ。
その集団とはアイヌの場合コタンである。
先住権を認めコタンの復活、アイヌとしての経済活動を支援する
コタンは、数戸〜数十戸からなり、その支配領域(イオル)において独占的・排他的な狩猟・漁猟権を有し、他のコタンのアイヌがこの権限を侵した場合には、コタン間の戦争になった。各コタンでは慣習法に基づく民事法、刑事法が存在し、訴訟も行われていた。
政府が先住権を認めない根拠は「日本にはいまや先住権や自決権を有するようなアイヌの集団は存在しない」というものである。これは盗人猛々しい言い分だ。アイヌモシリ(人間の大地)を侵し、主権集団としての存在を否定して、コタンという集団を解体し、土地や自然資源を奪ったのは誰あろう日本政府ではないか。
ウポポイ設立の根拠となっている「アイヌ新法」では、アイヌの権利、特にアイヌの集団の権利である先住権について全く規定されておらず、その理由は、先住権などの権利主体であるアイヌの集団はもはや存在しないという日本政府の基本姿勢にある。
だから今、アイヌの集団の権利、特に先住権について議論することが必要なのだ。
この議論は、近世アイヌの歴史と、明治以降にアイヌの権利が奪われていく歴史を分析し比較することから始まる。
江戸時代まで存在していたアイヌの主権に裏付けられた権利が、アイヌの意思によって明治政府に対し、正式に譲渡ないし放棄されたかどうかが問題だからである。
明治政府は、アイヌの集団との交渉や条約などを締結しないまま、一方的に土地や自然資源を奪った。この明治政府の侵略に対してアイヌの集団は先住権を失っていないことを主張できるのである。
そのうえで、先住権の主体となりうるアイヌの集団を復活させることが日本政府の義務となる。
経済的自律が政治的自律を保障する
畠山さんにしろラポロアイヌネイションズにしろ、彼ら彼女らのアイヌのサケ漁を認めよとの主張は、強い経済的自律の欲求に支えられている。
畠山さんは次のようにアイヌの漁業について語っている。
「それは、オホーツク海にある「未利用資源」(の漁業権をアイヌに認めて欲しいという要望でした)。(かつてはオホーツク海沿岸部でも)ツブだとかエビだとか、獲っていたのです。(しかし)昭和53年(1978年)ですか、日本とロシアの国境(の外側)に200海里(までの漁業専管水域)が設定された(タイミングで、そうした水産資源に対する漁業が行なわれなくなった)。その内側に、そういう資源が漁獲枠設定もされずに無造作にあるということでね。それを、和人たちが自分勝手に決めた(とはいえ、既存の)漁業権に抵触するのではなく、「未利用資源として(アイヌに)獲らせてください、」と。
それが可能となれば、その操業には5人なり6人なりの従業員が必要なわけです。さらに遠い海区まで行くとなると、一隻だけだと海難上問題があるので、二隻(以上が必要になります)。すると(合わせて)10数名の乗組員(の雇用が生まれます)。可能であれば、アイヌの人々を優先的に(雇用して)ね。「我々と一緒にやろうじゃないか」という人が出てくれば、そういう方々と一緒に、未利用資源の漁業就労という形でやれるのではないかと、今でも考えています。」(2016年11月19日、アイヌ政策検討市民会議 第三回記録 畠山敏氏「アイヌ先住権復興を目指す〜クジラ漁業をめぐって」)
主権を根拠とするアイヌの集団としての権利は、集団の経済活動として保障されるものでなければならない。その集団の自由は経済活動、つまり経済的自律が保障されるものでなければ、集団の政治的自律(自決権)は保障されないから。
政府や道が、祭祀に使う分だけサケをとってよいと「恩恵」としてしか認めようとしないのに対し、畠山さんやラポロアイヌネイションズが漁撈権、先住権として「権利」として認めよとたたかうのは以上のような理由からなのである。
集団としてのサケ捕獲権は、集団の経済的自律のために経済活動の一環として認められる権利であり、それはアイヌをサケ資源保全の当事者と認め、河川管理の権限を認め委ねることをも含むのである。生物多様性条約は、先住民族の集団が自然資源を保全する当事者であることを認めている。
アイヌの先住権をめぐるたたかいは、かくしてアイヌがアイヌとして経済活動を行い、生活し、コミュニティをつくって自治していくことを日本政府や北海道に認めさせるたたかいに入っている。
そのように見たとき、次のようなアイヌの人びと自身による政策要求の背景も、心から理解し支持できるものとなる。
アイヌの提案・要望・要求
「アイヌ新法」の制定に向け2017年12月から翌3月にかけて「アイヌ政策推進に係る地域説明会」が行われ、北海道各地から286人のアイヌが出席し、以下のような意見が提起された。
1,アイヌの社会的立場
・特別議席の付与
・アイヌに対して差別する人を罰すること
・文化に限定しない幅広い政策の実施及びアイヌの知的所有権の適切な保護
2,アイヌに国有地で活動する権利を与えること
3,伝統的な漁業権の復興、伝統的な生活習慣の創出の場を北海道各地に創設すること
・国有地の資源の利用や川でのサケ漁業権の設定
4,自律的な経済社会活動の支援
・アイヌの農業、漁業、林業活動への財政的支援政策を改善すること
5,生活、福祉の充実
・高齢者のための福祉向上
・高齢者への生活支援
・生活館、相談員制度の運用改善
・住宅資金の貸付の充実
6,エンパワメントとしての教育・文化政策
・学校におけるアイヌ語と文化の教育
・アイヌの子どもや若者の教育を促進するための強力な措置
・義務教育の中でのアイヌに対する理解促進
7,過去に人類学者や考古学者らによって奪われたままのアイヌの遺骨の返還
8,バランスを図る
・アイヌ政策を議論する際にジェンダーのバランスや地域間のバランスを図ること
これらは全く新法に反映されていない。テッサ・モーリス・スズキは、本書でそのことを次のように批判している。
「広範な議論の欠如によるアイヌ民族の不満とともに、先住権に関する新たな政策採用のために始まった一連のプロセスが、政府の支配による文化振興計画に変わってしまったように見える。」
「果たして国立アイヌ民族博は、アジア太平洋戦争中に北海道の労働拠点(タコ部屋)から脱走した朝鮮人強制労働者たちを助けたアイヌの話に触れようとするでしょうか。」
「先住民族をテーマにする観光業は、常に諸刃の剣なのです。先住民観光の発展に関する2012年の「ララキア宣言」の一文は、「観光は先住民族の文化を復元し、保護し、促進する最強の原動力になるが、不適切に使用された場合にはその文化を消滅させ、破壊する可能性がある」と指摘している。宣言は先住民文化を中心とした観光業に関連して、先住民族による管理と自治権の重要性を指摘している。「先住民族は自ら観光への参加の程度と性質、組織構成を決定し、政府や多国間機関は先住民族のエンパワメントを支援する」と書かれています。」
アイヌと市民の社会運動で先住権実現を
先に整理したアイヌの政策要求は、すでに始まっている先住権をめぐるアイヌの訴訟や権利行使の行動への広範な共感と多様で水平な日本市民社会建設への行動によって社会運動の力で実現していかねばならない。
アイヌへの関心が高まっている今だからこそ、学びと行動の機会を各地につくりだし、つなげていきたい。そのためにウポポイの見学を含むアイヌとの交流と対話を積み重ねていこう。
一度勝ち取った参加型を後退させることはできない(大東大におけるPBL授業の堅持)
けさの朝日新聞に「小中高やディズニーはよくてなぜ大学はダメなのか」という至極もっともな学生たちの声が掲載されていた。実際、オンラインによる画一一斉授業の質の悪さを嘆く声は多い。
わたしの大東文化大学での「NPOとNGO」という授業はもう10年にわたって学生が自ら動き他の学生たち働きかけるPBL(Problem based Learning)の形で行ってきている。ここにきてオンライン授業を強要しかねない「対面でやるなら理由を書いて提出せよ」
という指示が大学から来たので、参加型を堅持すべく以下の要望書を書いた。
なぜ参加型でやるのかの意図を組み取っていただけたなら幸いである。
社会学部教務委員会御中
20年8月5日 非常勤講師 森 良
後期授業として予定されている「NPOとNGOの社会学」の授業方法は、予定通り対面実施(ワークショップ方式)として行わせてくださいますようお願い申し上げます。
理由は、以下の通りです。
シラバスには次のように謳われています。
<授業の概要>いま、「新しい公共」が社会をつくる力として注目されている。NPOやNGOは、行政や企業ではできないサービスを提供することにより、「持続可能な社会」や「相互扶助的な市民社会」をつくっていく市民公益団体である。本講義では、まず、受講生にとって関心のある課題を解決するために模擬NPOを設立してもらう。そして、数ヶ月間実際に活動してその振り返りをすることによって、NGOやNPOについて理解を深めてもらい、それに関わる知識の習得を目指す。
<授業の到達目標>
①NPO,NGOの役割、活動について説明できるようになる
②ワークショップ、セミナーを企画、運営できるようにする
③プレゼンテーションが的確にできるようになる
<授業の形態>講義をしつつ、各グループに分かれ、プレゼンテーションやワークショップを行う
本授業を前任者から引き継いだ時に、次のように授業の在り方を検討しました。
「ボランティアやNPOの体験がない学生たちに、どうしたらNPOを自分事としてとらえてもらえるか?」→「学生にとって切実な課題を挙げてもらい、その課題解決に向けて他の学生たちに調査したり、ワークショップやセミナーを開いて働きかけをしてもらうなどの模擬NPO活動を体験してもらうことによって、意欲的に取り組むことができ、かつ他の学生たちの反応によって自己効力感をたかめ、調べたり人に働きかける実際的なスキルも身につけることができるのではないか」
そのねらいは見事に的中し、学生たちは自主的にアンケート、ヒアリングなどの調査やワークショップなどを展開して、大変興味深いプレゼンをたくさんしてくれました。印象に残っているのは中国人学生を中心とした住民を巻きこんでの「餃子パーティ」や当事者である学生たちによる「ギャンブル依存」の実態調査、啓発ワークショップなどです。
オンラインのみではグループも形成できず、NPOについての知識伝達で終わってしまい、上記のような学習効果を期待することはできません。
下記のような留意事項を実行しますので、対面授業を認めていただきますようお願いします。
<実施にあたっての留意事項>
・オンライン参加の学生の受講も認める。ただしグループ形成後は、グループの討議に参加し、どう行動するかはグループの話し合いに任せる。
・グループ活動のプレゼンと各自のレポートによる単位採点についてはハンディを考慮して行う。
生活圏を変えるー関啓子『「関さんの森」の奇跡』を読んで
本書を読み終わった直後に現場を訪れることができた。新松戸駅から坂を登っていくと斜面林が多い。ははぁこれは谷戸地形だな。谷戸とは丘陵の谷のことをいい、関東地方の里山に多い地形である。谷の基部には湧水が湧き出すのでそれを利用して谷戸田をつくっていた。湧水なので量が少なく冷たい。溜池をつくって貯え温めて使っていた。反対に丘陵部は水が少ない。深く掘らないと井戸は使えない。だから関さんの森の守り神は「おくまんさま」と呼ばれる熊野権現(水に縁の深い自然信仰の神様)である。
このおくまんさまは関家の庭にあり、家や蔵や庭とともに一つ間違えば消失する運命にあった。56年も前に決められた亡霊のような都市計画道路が関家の庭を通る形で計画されていたからである。この亡霊が2008年に息を吹き返し、松戸市が強制収用手続きを行おうとした。
これに対し「育む会」などの市民たちが、知恵の限りを尽くしてたたかい、この森の核心部である庭を迂回する代替案を提示し市に認めさせ、計1.7haの森はほぼ永久に残ることになった。
本書はその顛末を描くとともに、里山の存在価値や市民と子どもたちの学びあいと保存運動の意義を明らかにしている。
本書から学べることはたくさんあるが、わたしは次の二つが大切だと感じた。
一つは、市民の力を育むもとになった学びあいの大切さである。
二つは、「一人ひとりが自らの生活圏を変えれば世界は変わる」という見通しである。
2015年に世界193か国が合意した「国連・持続可能な開発目標」(SDGs)は「だれひとり取り残さない」という理念のもとに17の大きな目標を掲げている。その11番目の目標が「住みつづけられるまちづくり」(これこそ本書のテーマでもある)。
現在の地域は大地の歴史と人間の開発の歴史という二つの大きな歴史の賜物である。これからのまちづくりを考えるときに、ここに踏まえることが必要になってくる。
関さんの森にかかわる市民たちはこのことをよく知っていた。だからその歴史を今によく伝えるこの森と屋敷・庭をかたまりとして残すことに心を砕いたのである。
持続可能な開発は遠い世界の遠い目標ではない。一人ひとりの市民の、地域の由来と現在を知り、その価値と恵みを引き継いでいくことによって、自らの生活圏を住みつづけられるものに変えていこうとする行いの集積なのである。市民と子どもたちの学びあいがその継続性を保障していくのだ。本書は見事にそのことを整理してくれている。