持続可能な地域づくりは担い手育成からー『学校教育3.0』(諏訪哲郎)は地域主導で

 学校や教育を学習者中心のものに変えていくことを目指すアクティブラーニング研究会の仲間の諏訪哲郎さん(学習院大学教育学科/日本環境教育学会長)から『学校教育3.0』という本をいただいた。読みやすいブックレット状の本だが提案されている中身は濃い。

 副題「国民国家型教育システムから資質・能力重視型教育システムをへて、持続可能社会型教育システムへ」が示すように、本書は前二者の教育システム(国家や資本のための人づくり)に対する批判と、人間や社会を大切にする新たな教育への意欲的な提案の書である。本書のポイントを紹介しつつ地域づくりの実践者としてよりふくらませた論を展開してみたい。

子ども中心/地域の人々の関与/プロジェクト学習/ファシリテーター・コーディネーターとしての教師

 諏訪さんは「持続可能社会型教育システム」の要点を4つ挙げている。1)持続可能な社会形成への参画、2)地域の人々の関与拡大と教員の役割の変化、3)専従者としてのコーディネーターの養成と配置、4)共有すべき理念である。

 2)では、専門スタッフもさることながら地域の普通の人々の教育への関与拡大が「相互関与」と「教員と同等の参与」という視点から強調されている。まったくその通りだと思う。

 教育自治の観点から見れば至極当たり前のことで、国ではなく地域の人々が教育をつくれば「地域をつくる教育」が実践できる。わたしは以前「地域カリキュラム委員会」を構想・提案したことがある(森良著『コミュニティ・エンパワーメント』2001年・エコ・コミュニケーションセンター刊)。「一人の子どもが育つには一つの町が必要だ」という考えからすれば、地域の人たちが地域の教育の方向を決め、カリキュラムを皆でつくっていくのが当たり前のことになるだろう。

 そのためには市民が学習しなければならない。これからの学習はアウトプットを大事にするので、学んだことを他の市民や子どもたちに投げかけていく。そうすれば地域の中で大人と大人、大人と子どもの学びあいが起きていく。

 この「地域での学びあい」こそがこれからの教育の基本となるだろう。学校はその一部となる。地域が学校に従属するのではない。

 現状の「学校支援地域本部」なり「学校運営協議会」なりは、まだ学校が主体で学校がやる授業に地域の人たちが協力するという形になっている。そうではなく、学校の運営方針やカリキュラムを地域の人たちがつくるのである。

 本書でユニークなのは、3)の「専従者としてのコーディネーターの養成と配置」であろう。これからの教員にはファシリテーター、コーディネーターとしての役割が求められるが、現状では超多忙な教員にコーディネーターとしての過大な役割を求めることはできない。「特に、子どもたち自身の「持続可能な社会形成への参画」と「地域の人々の関与拡大」が重要な根幹をなすことになる「持続可能社会型教育システム」においては専従者としてのコーディネーターが育成され、できれば各校に最低一人づつ配置されることが望ましい」(p.61) まったくその通りで、国は教員の増員とともに各校に一人のコーディネーター配置の予算措置をすべきだと思う。

 そして諏訪さんの言うように「コーディネーターに求められる資質、能力、養成方法についての研究、調査と具体化」を急ぐ必要がある。こんごのアクティブラーニング研究会はこれを一つの大きな課題として取り組んでゆく。わたしはこれまでのコーディネーターとしての経験や養成研修などの蓄積に踏まえて培ったものをそのために役に立てていきたい。

学校は社会資本を生み出し市民と公共的空間を変える

 地域と学校のかかわりを考えていたとき、そのことについて従来の考え方を飛躍させてくれる重要な本に出会った。北イタリアの小さな町レッジョ・エミリアの幼児教育を紹介する展覧会のガイドブック『驚くべき学びの世界』(2011年・ワタリウム美術館)である。

 「都市や共同体との関係を新しくつくり出す方法を考え出し、教育の場所とローカルな場所との関係を再解釈することは切迫した極めて重要なことがらです。この新しい文脈において、学校は、言語、民族、宗教、さまざまな能力共有の習慣における差異が一堂に会する公共的な空間の役割を担いうるし、担わなければなりません。学校は、互いに互いを知ることや、差異を交歓する可能性への期待、ゲットーをつくり出さないことへの願いとともにあるのです。」

 「学校の壁の外側における保護者や共同体との人々の絆は、それ自身が重要な資源です。この観点からわたしたちは、学校は市民社会の一部として、個人と社会の関係のネットワークである社会資本を生み出すものであると信じています。別の言葉でいいかえれば、学校は市民社会の結び目であり、人々の帰属意識を高め、地域の知識を蓄積し、個々人の意見を表明することを通して子どもたちにも大人たちにも貢献する参加の機会を生み出すことができるのです。」

「学校は、人々が出会い、話しあい、差異を尊重し合う重要なダイナミクスのきっかけになりうるということです。さらに、人々の能力と願いにより、新しい市民性のアイデアを探究し、市民と公共的空間の双方を変容させる協働的な進化の一部となることができます。」

「市民性は、すべての子どもたちと大人たちが例外なく潜在的能力を有していると信じるという宣言によって、すべての人々が「特別な」差異を有していることを喜んで受け入れることによって生み出されるのです。また市民性は、次のような都市のアイデアによっても新しく生み出されるのです。都市とは「与えられたもの」ではなく、また定義され変わることのないものでもなく、市民の行動によって変容しうるというアイデアです。」

 わたしが注目するのは「学校は市民社会の結び目であり、人々の帰属意識を高め、地域の知識を蓄積し、個々人の意見を表明することを通して子どもたちにも大人たちにも貢献する参加の機会を生み出すことができる」という考えである。これはわたしの描く理想の教育の姿に近い。

 現代の地域社会では、地域に対する帰属意識を持っている人は少なくなってきている。ただそこに住んでいて勤めや学校に行っている人が多い。そのことは地方選挙の投票率の低下に端的に示されている。

 だが本当にこの社会を持続可能な社会にしたいのだったら、自らの住む(かかわる)地域をよく知り、学びも、人も、お金も、モノも、経済も地域内で循環させることを考えねばならない。持続可能な社会を望む者は持続可能な地域づくりを実践せねばならない。それは地域の成り立ちやありように興味を持ち、学ぶことから始まる。

 

子どもと市民の共同プロジェクトを

 わたしと諏訪さんは2001年にECOMから『「総合的な学習の時間」はコワくない!』という本を出している。その中でわたしはアクションリサーチという学び方を提唱した。アクションリサーチとはリサーチ(調査・研究)がアクション(問題解決の行動)

につながるという意味である。いま話題のPBL(Problem Based Learning:問題解決学習)でよく使われる方法である。その地域の子どもと市民が地域の課題についてアクションリサーチを展開していくことが先に述べた「地域での学びあい」の真ん中に据えられる。

 例えば、ECOMの事務所のある小川町は盆地の町であり山地の集水域に立地していることから水を使う産業である素麺、酒造、和紙づくりが発達し、東京から秩父への入り口や街道の要衝にあることからそれらを商う商業が栄えた。そうした地域の大地の歴史と人間の開発の歴史を学び、これからの地域産業やまちづくりに役立てることができるはずである。それは子どもと大人の学びあいという営みを通してこそ豊かな深い学び「市民と公共空間の双方を変容させる共同的な進化」となるだろう。地域と学校と持続可能な社会とのかかわりはこのようなダイナミックなものとなるだろう。