リレーションシップが持続可能な地域をつくるーキム・キソブ『生命の社会的経済』紹介

 社会的経済については何冊か入門書を読んだが、その意味が今一つよくつかめなかった。が本書を読んでよくわかった。どうわかったのかを書いて紹介としたい。

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交易のありようが社会のありようを決める

 最近読んだ本の中で最もインパクトのあった本である。これまでの常識を覆された。金さんは、交易が一つの共同体が「異邦人」:他の共同体と平和な関係を結び、共同体内部のつながりを強めるために行われてきたことに注目する。また、そこからこれからの社会的経済の役割を導き出す。

 つまり、交易の対象を商品から生命に変えること、交易の目的を富の蓄蔵から福の消尽に変えること、そのことによって生命と社会を豊かにすることである。

 

 この観点に立てば、資本は否定すべきものではなくすべての生命が豊かに生きられるように使い尽くすものとなる。なぜならば資本とは生命の蓄積に他ならないからだ。生態系という世界のとらえかたがあるが、それによれば生命は相互に依存しあっている。循環性、多様性、有限性、関係性という生態系の法則をこわさずにその則のもとに暮らしていけばそれはずっと続いていく。サステイナブルとはそのことを言っている。

 しかし資本主義はそうではない。資本とは貨幣であり、使い尽くすものではなく蓄積するものである。なぜなら貨幣を蓄積することで利子や信用を生み、それがまた貨幣を増殖させるからである。つまり資本を蓄積すれば富が増える。金持ちはますます富み、貧乏人はますます増える。1%が99%を支配する。

 

 金さんは、プロローグで「執筆の動機」は二つだと言っている。「一つは社会的経済を「人間の経済」から「生命の経済」にとらえ直し、もう一つは国家と市場の「ハザマ」から抜け出て、社会の「カナタ」を想像するためです。そして、この二つをとおして、社会的経済があらゆる生命の主体的で持続可能な幸福のためにそびえたつことを念願するためです。」(p9)

 どうやら金さんは、現状の社会的経済のあり方に満足していないようである。

 

交易は人間らしさ

 実はこの紹介文の最初の見出しを「交易のありようが・・・」としたのは、交易に思い入れがあるからだ。交易は最も人間らしい行為ではないかと思っている。

 アイヌは交易人であった。「狩猟採集経済」を柱にして見ると見方を誤る。逆である。交易に生きたために、それに適した狩猟採集の対象や方法が選択されたのだ。今話題になっているアイヌのサケ漁は、自家消費の量をはるかに超えてほとんどが北方世界や和人との交易のために行われていた。(See⇒瀬川拓郎『アイヌの歴史ー海と宝のノマド』)アイヌは交易によって得た異邦人の宝を何よりも大切な財産としていた。そして積極的に異なる文化を生活の中に取り入れた。

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アイヌのサケ漁

 金さんは、本書の第2章「交易の歴史」の中で交易には三つの位相があると言っている。

 ①「物と物の交換」する位相:経済

 ②「人と人の交流」する位相:社会

 ③「自然と人間の代謝」する位相:自然

 この三つの相互関係のあり方が問題なのである。

 現状では①が②③を牛耳っているために社会はゆがみ、自然はこわされて行って人間の生存の基盤すら危うくなっている(気候危機、資源枯渇、環境汚染)。

 本書の主張は、この関係をもとあったように逆転させようという主張であり、社会的経済はそのための実践だということだ。

 つまり、貨幣という資本ではなく生命としての資本をつくりだし、それを生産的に使い尽くす(消費する)ことによって自然③と社会②が豊かになるような経済①がすなわち社会的経済でありそれを実践しようと言っているのだ。

 

異なる資本の消尽・溶融が生命資本の増殖を生む

 わたし自身は協同組合や社会的経済の世界をあまり知らずに60過ぎまで来てしまったが、金さんは日本に生協を学び韓国のドゥレ生協や原州(ウォンジュ)の地域協同組合をつくりあげてきた社会的経済の実践家である。その経験から彼はこれからの社会的経済は統合的ネットワークの道を進めと提案している。

 統合的ネットワークとは、「生活が困難に陥ったり、陥る危機にさらされたりする人に向かって、様々な社会的経済組織が力を出し合って迅速かつ適切に対応し、場合によっては新しい対応策を模索すること」(p225)である。

 例えばホームレスの支援を考えてみよう。まず生活保護を申請し住居や食・医療を確保して働ける状態をつくらなければならない。その上で今度はその人に合った仕事を世話していくなど多岐にわたってやるべきことがある。ホームレスの人に食事を提供する際に、その他の必要事項についてもその場で同時に相談・紹介ができれば、生活を立て直していくプロセスはうんと速く進むだろう。

 そういうやり方をワンストップサービスと言うが、それが成り立つためには、地域内の行政はじめ様々な機関・組織のネットワークが必要になり、またそれらの協力・協同をもって新しい支援策の模索や制度改善が進められてゆく。

 こうした統合的ネットワークが成り立つためには、それぞれの社会的経済組織が自ら蓄積してきた資本を持ち寄り、提供しあい、その結果新たな支援策・制度(=新たな生命資本)が生まれるというプロセスの発展が想定される。これこそが金さんの言う社会的経済の新たな展開なのである。

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5月に行われた第2回大人食堂には700人近い人が並んだ

 

新しい社会の主役:社会から排除される人びと

 もう一つ金さんの指摘が鋭さを見せるのは、これからの社会のありようと推進的な担い手の変化に社会的経済は対応すべしとの主張である。

 金さんによれば、人類史上初めて家族から個々人に社会形成の単位が変化しており、その一人ひとりがあらゆる拘束から解放される状況が生まれている。しかし問題はその「一人寂しい流浪」を守ってくれる社会的安全網がないことである。社会的安全網とは

「どんな状況でも、一人ひとりの人間が、彼の属する社会の中で安心して暮らせるようにする関係の網」のことである。それをつくりだすことができるなら個人が自立しつつも支え合い連帯しあう社会が生まれる。

 そしてそうした新しい社会の主役となり社会の方向を決定していくのは、これまで社会から排除されてきた人びとである。彼ら彼女らは「かわいそうな援助を必要とする人たち」「教化し社会復帰させる対象」ではない。自分たちを排除する社会を変え、まったく異なる共生と連帯の社会をつくりだす人びとである。

 こうした人びとを社会の主役とみなして惜しみなく支援すること、最も低いものを最も高めたために、人びとの間で差別と格差がなくなり、内なる相互扶助と外なる歓待、つまり定常開放系としての社会を維持できる。これを称して社会的包摂というのだ。

 このくだりを読んでわたしは今注目されているソーシャルファームの本当の意義と役割を理解した。

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埼玉福興で働く人たち その人に合った仕事をつくっている

 

社会的経済が地域をつくるために必要なもの

 金さんは何よりも個々人の自由(個々人の生と主体性の発露)を大切にする。それが発揮されるためには個々人の「一人寂しい流浪」を守ってくれる連帯の仕組みが必要であることはすでに述べた。この一見矛盾するような要求を結合させるためには何が必要なのだろうか。

 これまでの社会的経済がつくってきた協同組合という結社体(財・サービスの生産・販売を担う)と協同組合の生産・販売を担う事業体(構成員同士の協力と自助を担う)に加えて共同体が必要だと金さんはいう。

 この主張こそわたしが金さんの社会的経済論に最も共感する点である。これまで最も親近感を覚えた広井良典の『コミュニティを問い直す』をはじめ数々のコミュニティ論を読んできたがイマイチ納得感がなかった。なぜならコミュニティはこうあるべきということは書かれていても、それをどうつくるかは書かれていなかったからである。

 金さんは、社会的経済が地域社会に広がっていくためには様々な人々の多様なニーズに応え、それらをつないで新しいサービスやしくみをつくっていくことが肝要だという。そのためには人びとの活動を活発にし、それを受け入れる「すき間」と「弱い紐帯」が必要だという。

 金さんの言葉で言えば「自分の願いと他人のつなぎをその中に入れることができる「構造的なすき間」と新しい主体と多衆のニーズを受け入れつなげる「弱い紐帯」が必要」だということになる。

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パートナーシップからリレーションシップへ 水平的なつなぎから垂直的なつなぎへ

 このように金さんは社会的経済の進化を主張しているのだが、そこにおける進化の過程をわかりやすくするために表にしてみた。

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 この「メンバーシップ/パートナーシップからリレーションシップへの転換(垂直的なつなぎ)」という主張に金さんの社会的経済論の方法論が凝縮して示されていると思うし、ぜひともそれを実践してみたい。

 というのもわたしはECOMというNPOをつくって30年弱、地域コーディネーターという役割を担ってきたからだ。持続可能な地域づくりをコーディネートするというミッションである。その際に課題として感じてきたことは、行政に都合のいい「協働」「コーディネート」をどう超えていくかだった。すでに行政や企業が設定したゴールがあり、そのために同じテーブルに着くことが「協働」というカベを突き崩して、市民の発意とエネルギーを存分に発揮することで地域の関係や連携のあり方が変わっていくという状態をめざして活動してきた。

 わたしの経験的実践は金さんの理論の言葉で見事に整理されている。しかも東洋的な概念を魂として。

 

地域協同組合の社会実験へ

 さてこれまで金さんの考えをいかにわかりやすく伝えるかを主にしたためにかなりの字数を費やしてしまったが、この考えをいかに実践するかの方向を指し示してまとめとしたい。

 2014年の秋に、金さんの案内でウォンジュの地域協同組合を見学した時、わたしは直感的に「これからの地域づくりはこれだ!」と感じ取った。信用組合や医療協同組合、そして無料食堂が一体となった本部の建物をベースに、27の様々な業種の協同組合が連合して地域協同組合をつくっている。若い人たちが主体となったベンチャー企業も入っている。

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 わたしはいま、これまでの実践の中で大きなネックとなっている「可能性はある。でもだれがそれをやるの?」という課題に応えるために「(埼玉県西部地域)地域資源をしごとにする担い手育成3か年計画」を進めている。どこの地域に行っても、豊かな資源や地域づくりの可能性が見える。しかし、だれがそれをしごとにしていくのか、どう形にしていくのか、そこでいつもつまずいて先に進まなくなってしまうという大きなカベを突破していきたい。具体的にどうするかは、また稿を改めて詳しく述べることにする。