災い転じて福となす

f:id:npo-ecom:20200408213852j:plain 最近とみに、人間というものは自分のつくったものによって縛られる存在なんだなとつくづく思う。これだけ気候危機や世界の不平等化、貧困・格差の拡大が言われても、これまで馴れ親しんできたモノがあふれかえっているのにモノをつくり続ける過剰生産・成長の生産様式や大量生産・大量消費・大量廃棄のライフスタイルを手放そうとしない。

 しかしどうだろう。1月末の武漢封鎖からたった2ヶ月で、新型コロナウイルスの感染者は世界中に広がり、生産はダウンし石油や電力の消費は大幅に下がり、空気はクリーンになってきた。大量の失業者と生活苦の人たちを生み出しながら。

 これは人間が自分のつくったものによって縛られていて自分の力では変われないことを見越した天からのお告げなのかもしれない。わたしたちはいまこそ不幸を生み出し続け地球を危機に陥れる経済や社会のあり方を変えなければならない。

 そんなことを考えていたらFB友達の投稿にすごく共感できる一節があった。

「新型コロナウィルスへの根本的な治療は、みんなが現代社会の抱える問題を共有すること、そして共に新たなビジョンを描き、希望を持って静かにシフトして行くことだと感じています。
だから一人一人の在り方や考え方、生き方になってきます。
これで充分、自分が正しい、なんてなくてみんなが問題を共有して、自然の摂理法則を学び、智恵や勇気を出し合い修めて行く。
一人だけの成長では意味がない、みんなで成長して行く社会、それが私の描くビジョンです。」

 この一節に刺激されて、変化はどこからと考えてみた。

 一つは、食料を各人が確保することである。自ら多少なりとも食料をつくる、あるいは生産者とつながることによって。すべての市民がどんなに小さくてもいいから、農的な暮らしを自らの暮らしに取り入れることであり「市民皆農」のススメである。スーパーからモノがなくなる光景を繰り返してはならない。

 二つは、これが一番難しいかもしれないが、今ある仕事の仕方を変える、あるいは仕事をつくることである。

 聞くところによると、中国から部品が入ってこないことによって人工呼吸器がつくれないのだという。だったらすべて自前で生産すればいい。昔はできていたのだからやろうとすればできるはずだ。

 その際に、小手先の「働き方改革」を超えて、例えば「週休3日、1日4~5時間労働、早く帰って家や地域の仕事をする」という働き方の質の転換を伴っていくことが重要である。家と会社を往復して自分をすり減らすような働き方、暮らし方を変え、生活、仕事のほかにしごと(地域、コミュニティ、社会に貢献するしごと)を楽しんでやる暮らしをしたい。

 三つは、学び、つながり、考え続けることである。近年、人間の脳ははじめから社会的な存在であり、社会的な相互作用(つまりコミュニケーション)を通して発達しよく働くようになる(ソーシャルブレイン)という考え方が大きくなってきている。わたしはこれこそが、人間の人生や暮らしの質を決定づける行動のもとになる考え方だと思っている。

 つまり社会の中で学び、つながり、考え続けることが、幸せな人生、豊かな社会をつくっていくもとになるのだ。このことを楽しまなくてはならない。そう考えれば、教育というものも「社会の再生産機能」から「社会の創造機能」に変わり、まったくとらえ方、考え方が変わってくる。

 以上の3つのことができていけば「モノのやりとりは近いところでできるだけ小さな輪を閉じるようにつなぎ(足りないところは公正な貿易で補い)、ヒトや知恵の交流は世界大で広く」という持続可能な世界のあり方が実現できていくのではないだろうか。

 「生命は動的平衡」と考える福岡伸一によれば、ウイルスは「進化の結果、高等生物の遺伝子の一部が外部に飛び出したもの」であり「遺伝情報の水平移動の役割を担い、進化を加速する」という。

 どうやらそれは本当のようだ。であればウイルスを敵視するのではなく、ウイルスとの共生関係を豊かにすることによって人間の社会も豊かになる。上に述べた3つのきっかけをうまく活用してそうした方向に進みたい。

 そのように考えれば、コロナ禍を「災い転じて福となす」ことができるだろう。